帝都の南大門

Episode LXVI

起点

The Starting Point

門だけで首が痛くなるとフェルディスは言っていたが、シャールは流石にそれは誇張だろうと思っていた。

誇張ではなかった。帝都の南大門は、シャールがこれまでに見たどんな建造物よりも大きい。白い石の柱が左右にそびえ、その頂きに鷲の紋章を戴いたアーチが架かっている。門の高さはゆうに五階分はあるだろう。門扉は開け放たれたままで人と馬車と荷車が絶え間なく出入りしており、巨大な獣が息をしているかのような光景であった。

フォルカの渡しを越えてから二日。

帝国の舗装街道はルッツが誇った通りの見事な出来で、石畳の隙間なく敷き詰められた道を馬車は揺れもせずに走る。

道中ヴォルフとエルザが終始同行してくれたことは幸いだった。エルザとセフィラは薬草の話が尽きぬ様子で車上で語り合い、ヴォルフはシャールの隣で時おり「あの丘の地層は面白い」だの「あの川底の石は鉄鉱の近さを示しとる」だのと呟く。老学者の目には風景が地質図として映るらしい。

帝国の里程標──帝都まで零レグア
里程標 ── 帝都まで零レグア

門の脇に里程標が立っている。

白い大理石の角柱だ。南街道で幾つも見てきた帝国規格の石柱と形は同じだが材が違う。四面に刻まれた文字と鷲の紋章には金の象嵌が施されていた。

セフィラ

「帝都まで零レグア」

セフィラが角柱に歩み寄り指でその刻字をなぞった。

セフィラ

「ルッツさんが仰っていたのはこれですわね。帝国のすべての距離の起点」

シャール

「ああ。ここから始まるわけだ」

シャールが二人分のロート銀貨を差し出すと、門番は退屈そうに受け取って顎でしゃくった。

門をくぐると音が変わる。

石畳を打つ無数の靴音と蹄の音が建物の壁に跳ね返り、低い唸りのように耳の底へ沈んでくる。荷車の車輪が石を軋ませ、遠くでは鍛冶の鎚が鉄を叩いている。その上を売り子の声が泡のように浮いては消えていった。

ラスフェルの雑踏とは質が違う。あちらは人の声が主旋律だったが帝都では石が、鉄が音色を奏でている。

帝都の大通り──石壁の建物と行き交う人々
帝都の大通り ── 石と鉄の交響楽

大通りは馬車が三台並んで通れるほどの幅があった。

石壁の建物は三階建てが標準で、要所には四階五階のものがそびえていた。一階部分には商店が軒を連ね、仕立屋に武具屋に両替商に食糧品店と品揃えはどれも豊かだ。ラスフェルはおろか、ウェザリオ王国の王都より発展している様にシャールには見えた。

通りを行き交う人々の顔ぶれもが多彩だ。商人と職人と兵士。学者のローブを纏う者に武装した冒険者。やけに耳が尖っている陶磁器の様な白い肌の麗人もいれば、褐色の肌の見上げる様な偉丈夫までいる。さながら人種のるつぼといった所か。

セフィラ

「何というか──圧倒されてしまいますわね」

シャール

「ああ……」

二人は十分な教育を受けてきたはずだが、この時の語彙力は貧弱と言わざるを得なかった。まあ無理もない、故郷であるウェザリオとはあらゆる点でスケールが違っていたのだ。勿論古めかしいウェザリオ王都にも良い点は沢山あるし、帝都とて誰もかれもが繁栄を享受できるというわけではあるまい。この世界のどこにでも光と闇はあり、それは帝都も例外ではないと理屈ではわかっている。

しかし。

それでも。

この時ばかりは帝国の威光とやらに、二人の視界はやや焼かれてしまっていた。

ヴォルフ

「さてと」

ヴォルフが足を止めたのは大通りから東に分かれる通りの角だった。石畳の色がわずかに変わっている。通りの奥に尖塔が幾つか覗いていた。

ヴォルフ

「儂らはこちらだよ。学院はあの尖塔のあたりでね」

シャール

「三日間、お世話になりました」

シャールが頭を下げた。セフィラも深く頭を下げる。

ヴォルフ

「ところでお若いの。帝都の宿はもう決めておるかね」

シャール

「いえ。ギルドの近くで適当な所を」

ヴォルフ

「ギルドの辺りはね、坑夫向けの安宿が多くて壁が薄い。夜も騒がしいよ。お連れさんには向かんだろう」

エルザ

「あなた。紹介するならさっさとなさいな」

エルザが脇腹を肘で突く。ヴォルフが肋骨を押さえて身を捩じった。

ヴォルフ

「儂の教え子がやっている宿があるんだ。学院の北通りにある赤楡亭あかにれていという」

エルザ

「学者や学院のお客さまがよく使う宿ですよ。静かで清潔で食事もおいしいの」

エルザが補った。

ヴォルフ

「値は多少張るがね」

ヴォルフが大通りの脇の石段に腰を下ろした。懐から便箋と携帯の筆記具を取り出し膝の上で紙を広げる。

ヴォルフ

「紹介状があれば融通も利くだろう。船では世話になったしのう。貫き鳥を追い払ってくれて助かったよ」

エルザ

「それだけじゃないですよ」

エルザが言い添えた。丸い眼鏡の奥の目がセフィラに向いている。

エルザ

「お嬢さんの学問への姿勢を見ていたらね、つい手を差し伸べたくなるの。老人の道楽だと思ってちょうだいな」

ヴォルフが二通を書き上げて差し出す。

ヴォルフ

「こちらが赤楡亭宛て。もう一通は学院書庫だ。エルザが約束していた分だね」

エルザ

「書庫のほうは第二書庫と第三書庫の両方に通るようにしておきましたよ。司書に見せればすぐに入れます」

セフィラ

「ありがとうございます」

セフィラが両手で紹介状を受け取る。

ヴォルフ

「何かあったら儂の名前を出しなさい。ヴォルフ・ヘッセンで通る。書庫の司書には顔が利くからね」

セフィラ

「重ねてありがとうございます」

ヴォルフがゆっくりと立ち上がり棒を突いた。

ヴォルフ

「帝都は広いが悪い街じゃないよ。悪い人間はいるが──ま、それはどこも同じだろう。ではまた会おう」

セフィラ

「ええ。お世話になりました」

二人の後ろ姿が学院区の通りに小さくなり、やがて人の流れに紛れて見えなくなる。

赤楡亭──楡の木が枝を広げる石造りの宿
赤楡亭あかにれてい ── 春の若葉が芽吹く

赤楡亭は学院の北通りの東寄りにあった。

石造りの三階建てだ。入口の脇に大きな楡の木が枝を広げている。春の若葉が芽吹き始めたところで秋にはこれが赤く染まるのだろう。看板は木札が一枚あるだけで飾り気がない。客を呼ぶ必要のない宿は看板に金をかけないものである。

扉を開けると帳場に恰幅のいい男が立っていた。

宿の主人

「お泊まりですか」

シャール

「ヴォルフ・ヘッセン殿の紹介なのだが──」

シャールが紹介状を差し出す。男は目を通し、一つ二つとうなずく。

宿の主人

「ヘッセン先生のご紹介でしたか。ミミズがのたくっているようなこの酷い……余りにも酷い筆跡は間違いありません。早速お部屋をご用意いたしますよ。お値段もまあ据え置きで──」

提示された額は想像していたよりずっと安い。というより、ラスフェルの宿より安いくらいだ。

シャール

「ちなみに、もし紹介状がなければどれくらいの宿代になったのだろうか」

シャールが興味本位で尋ねると、男はにやっと笑って「知らない方が良いでしょう」とだけ答える。

シャールとセフィラは顔を見合わせるばかりだった。

三階の角部屋──白い漆喰の壁に夕陽が射す
角部屋 ── 二面の窓から帝都を望む

案内されたのは三階の角部屋である。

まず、広い。白い漆喰の壁に木の調度品が配され窓が二面ある。南の窓からは帝都の屋根並みが見渡せる。赤い瓦と白い石壁が夕陽に照らされて橙色に輝いていた。東の窓には学院の尖塔が視界をまっすぐに貫いている。

寝台はラスフェルの宿の倍はあるだろう。机と椅子と衣装箱が壁際に並ぶ。簡素だが隅々まで手の行き届いた部屋だ。

宿の主人

「湯殿は奥でございます。お申しつけいただければ湯を用意いたします。お食事は一階の食堂にて朝夕二食でございます」

男が退室した。

セフィラは真っ先に南の窓へ歩み寄る。

セフィラ

「随分とよいお部屋ですわね」

シャール

「ヴォルフ殿の名前の力だろう」

セフィラ

「ええ。でもこの眺めはお部屋の力ですわ」

夕陽に染まる帝都のパノラマ
帝都の夕暮れ ── 赤い瓦と白い石壁が橙色に輝く

シャールは荷を床に置き寝台の端に腰を下ろした。肩から重さが抜けた途端に五日分の疲労がまとめて押し寄せてくる。

セフィラ

「帝都ですわね」

シャール

「ああ」

セフィラ

「帝都ですわ」

シャール

「二度言ったぞ」

セフィラ

「二度言いたかったのですもの」

セフィラは窓辺で微笑んでいる。夕陽が亜麻色の髪を金に染めていた。